認められようと思うことは決して恥ずべきことではありません。
フェアでない認められ方が恥ずべきことなのです。
世間の顰蹙を買わない認められ方を工夫すればよいのです。
ところが弱い犬ほどよく吠えるように、認められたい人に限って、認められまいとすることがあります。
こういう人は認められたいという本心をいつわっているわけですから、認められた人を見るといやな気がします。
「彼は要領がよいからなあ」としっとにも似た感情を持ちがちです。
そこで「人に認められようとすべきではない」と考えず・・・
「人に認められたらそれにこしたことはない。
認められないからといって自分はだめ人間というわけではない」とか・・・
「自分のプライドが傷つかず、人も納得してくれる認められ方を考えればよいのだ」
・・・とビリーフを修正するとよいでしょう。
他愛の前の自愛こそ幸福の条件認められたいと願うのは自分の利益優先ゆえ、生き方として高級ではないと思う人がいます。
地の塩としての生き方の方が高級だというわけです。
・・・このような考え方には検討の余地があります。